歴史の中で踊り走り回る!【白鳥おどり②】
踊り会場の一角に人だかりができていた。太鼓がいくつか並べられ、何やら文字がたくさん書かれた大きな幕が飾られている。
この日は、踊りの前に「郡上宝暦義民太鼓」が上演されるらしい。
郡上宝暦義民太鼓とは、江戸時代に起こった郡上藩宝暦騒動(郡上一揆)を題材とした太鼓演劇である。
江戸時代、重税を課せられ苦しむ郡上の農民たちは、郡上金森藩に廃止するよう嘆願したが聞き入れられず、農民たちは団結し、死罪覚悟で江戸幕府に直訴する。その結果、農民同士の争いや、藩との争いが激化し、大混乱に陥る。
しかしそれをキッカケに、ついに訴願が受け入れられ、農民側が勝利。江戸の老中や幕府指導者が免職となり、郡上金森藩も取り潰しとなった。これにより農民たちの生活は良い方に向かっていくことになったのだ。
しかしその裏では厳しい裁きが下され、たくさんの義民たちの命が失われた。そんな自らの命を投げ打って人々の生活のために戦った義民たちの勇姿が今も語り継がれている。
文字がたくさん書いてある大きな幕というのは、「傘連判状」といって、この一揆に賛同する義民たちの名前が書かれたものだった。円形に書いてあるのは、誰が首謀者なのか分からなくするためで、これによりさらに結束が強くなったそうだ。
義民に扮した叩き手たちが奏でる太鼓の音色は、時に激しく、時に悲哀に満ちていた。
最後に「源助さん」という曲が演奏され、義民たちは踊りながら徐々に一列になり、そのまま櫓のある方へと進んでいった。それに続いて、先ほどまで太鼓を見ていた観客たちも踊りながら列に加わる。
ここから白鳥おどりが始まるのだ。
ワタシはこの演出に鳥肌が立つほどの感動を覚えた。歴史の中にワタシも混ざっていく。その瞬間、言葉では言い表せないような喜びと、なんだか時空を超えてものすごく遠いところへ来てしまったような不思議な感じがした。
そして、櫓のまわりに踊りの輪ができた。
さぁ、夜が明けるまで踊ろうではないか!
白鳥おどりで踊られるのは8曲。(源助さん、シッチョイ、世栄、猫の子、神代、さのさ、八ツ坂、老坂)
シッチョイは、途中で「アーシッチョイシッチョイ」という合いの手を入れる。流れるように進む踊りが気持ちいい。
猫の子は、同じ名前の曲が郡上おどりにもあるが、踊りは少し違う。猫のような手つきをするところは一緒だ。(白鳥の猫は鳴かない)
老坂は、下駄を強く鳴らしながら踊る。ハマるとめちゃめちゃ楽しい。
難しいのは神代だ。他の曲に比べ、手数が多く、左右に忙しく行ったり来たりするので、間違えると危うく隣の人とぶつかってしまいそうになる。
観光客が増え、踊るのもやっとな郡上おどりに比べ、こちらは踊っている人のほとんどがおそらく地元の人々で、ローカルな雰囲気が漂っている。意外にも若者が多い。
子供の頃から近所でこんな素晴らしい踊りがあるなんて、本当に羨ましいと思った。
そして、ウワサのあの曲。世栄がかかると、何処からともなく若者たちが集まり出してきた。みんな「やるかあ〜」と嬉しそうに気合いを入れている。
腕を上げたり下げたり、手をくるくる回したりするこの踊り。普通の速さだとそんなに難しい踊りではないのだが、なんせテンポがハンパないのだ。最初は、速いけど何とかついていけるという感じだったのだが、徐々にテンポアップしていき、最後には走りながら踊っていた。
音頭取りはラップのごとく次々と言葉を並べ、
合いの手は「Hey!Hey!ドコサ!!」と夏フェスに来たように拳を上げながら叫ぶ。
真ん中では若者たちが踊りながら走り抜けていく。
ワタシはあっという間にその濁流に呑み込まれてしまった。
こ、これはスゴイ、、、!!
ウワサには聞いていだが、ここまで激しいとは。ついに白鳥おどりの真骨頂を見てしまった。
夜が深まるにつれて人の数が増えていき、踊りの輪も大きくなっていく。ワタシはひと通り踊りを覚え、ランダムに演奏される曲に対応できるようになっていた。やはり、身体に踊りが馴染んだ瞬間は最高に気持ちがいい。
ウワサ通り、郡上おどりと比べると白鳥おどりは全体的にテンポが早い。若者が多い理由もそこにあるのかも。
踊りの輪から少し離れて休んでいると、目をつぶってずっと椅子に座っているおじいさんがいる。お囃子を聴いているのか、お祭りの空気を感じているのか、はたまた眠っているのか、ワタシには分からなかったが、その気持ちよさそうな表情に何だかとても安心した。
白鳥おどりはこの町にしっかりと馴染み、守られていた。
ついに、最後の曲が演奏される。世栄だ。
全員集合といった感じで、さっきまで休んでいた若者たちも続々と集まってきた。
これまでで一番の盛り上がりを見せていた。
人々は走り回り、叫び、ついには今まで保っていた輪が崩れ、別の場所にも踊りの輪ができていた。櫓の周りをとり囲むように人々が押し寄せ、各々が好きなように、本能のままに踊り狂っていた。
「なぜ、踊るのか?」
その答えはまだ出ていないけど、もはやその意味を追求することすらバカバカしく思えてきた。
踊りが終わってしまうのを惜しむ気持ちと、終わりがあるからここまで我を忘れて踊ることができる、という矛盾と戦いながらも、今はこの濁流に逆らうことなく飲み込まれようとワタシも必死に踊り続ける。
踊る。踊る。
朝の4時、ついに白鳥おどりは終わりを迎えた。大きな拍手と共に、脱力感と、さっきまで忘れていた腰の痛みが襲ってくる。
そしてそれ以上の、達成感と心地よさがワタシを包んだ。
これで終わるのかと思いきや、まさかのアンコール。
ま、まだ踊り足りないというのか、、!!
白鳥の人々の踊りに対する熱は並大抵のものではなかった。
「さのさ」を踊り、本当に本当に終了。
最後は下駄を両手に持ち打ち鳴らすという、白鳥おどりならではの一本締めでしめくくられた。
「カラン!!!」
白鳥の町に踊り子たちの下駄の音が響き渡った。
【白鳥おどり】
7月中旬〜9月中旬 (徹夜おどり 8月13〜15日)
白山の入り口は徹夜おどりへと続く【白鳥おどり①】
岐阜県郡上八幡をさらに北上したところに白鳥(しろとり)という町がある。(長良川鉄道を利用する場合は美濃白鳥駅下車)
そこに『白鳥おどり』という徹夜で踊る盆踊りがある。その踊りはどうやら、郡上おどりよりもテンポが早く、激しいらしい。
これは行くしかないでしょう!!!
今回『徹夜盆踊りの旅 2016』と題して、前日には郡上おどりを徹夜で踊っていた。2日連続徹夜で踊るのは初めてだったので、ワタシにとっても未知の領域だ。前日の疲れを少々残しつつ、白鳥に向かう。
夕方、美濃白鳥駅に到着した。
人が、、、いない。
「あれ、今日盆踊りやるんだよ、、ね?」
少し不安になる。
こんなこと言ったら大変失礼なのだが、ここで徹夜おどりがあるとは思えないほどの、何もない田舎町だ。町を歩いてみても、駄菓子屋や履物屋、定食屋などが何件かある程度で、正直言って活気は、、あまりない。
ここで徹夜おどりがあるのか。
うーん、ますます興味が湧いてきた!!
郡上八幡と白鳥町は同じ郡上市ではあるが、町の成り立ちが全くちがう。郡上八幡は城下町として栄えてきた。古くから政治や商業の中心地であり、今も市役所や県の出先機関がここに置かれている。一方、白鳥町は白山信仰の地として栄えてきた。そう、ここは霊峰・白山への入り口なのである。その昔は修験者や参拝者などがたくさん往来していたそう。
実はワタシも、踊り会場に向かう前に長滝白山神社に参拝していた。この神社がまた素晴らしかった。参道に立ち並ぶ立派な木々達を見た瞬間に鳥肌がブアァっと立った。お盆真っ盛りにもかかわらずひんやりとしていて、気付けば神聖な空気に包まれていた。
少し歩くと目の前に大きな拝殿が静かに佇んでいた。その泰然自若とした姿に圧倒される。
中央には立派な切子燈籠が飾られていて、毎年7月にこの場所で白鳥拝殿おどり発祥祭が行われるそう。この場所で人々がひしめき合いながら踊っているのを想像して、今度は是非その様子を目に焼き付けたいと思った。
ひと通り参拝を済ますと、先ほどまで隠れていた太陽が雲の切れ間から顔を出した。拝殿とワタシに太陽の光が降り注ぐ。あまりに気持ち良くて、目をつぶって手を広げ、その暖かさと有り難さを身体中で感じた。なんかいい予感がする。
小さな商店街の真ん中に櫓が用意され、徐々に祭りの準備が始まっていた。「白鳥おどりは激しいらしい」という噂に少しビビって、郡上おどりの高下駄ではキツイかもと思い、町の履物屋さんで低めの下駄を購入。(地元のみなさんは高下駄で踊っていた!)
浴衣に着替え、定食屋さんでカツ丼を喰らう。
徹夜おどりに勝つ!
(なにと戦っているのか、、)
準備は万端。
日も暮れいつの間にか人々が増えていて、町がようやく祭りらしい雰囲気に包まれた。
つづく。
衝撃と感動のクライマックス!【新野の盆踊り②】
すべての境界線がなくなる優雅な踊り【新野の盆踊り①】
長野県阿南町の新野(にいの)で行われている、新野の盆踊りに行ってきた。
東京の台所に現れた異世界で踊る【築地本願寺納涼盆踊り大会】
踊って楽しい!食べて楽しい!見て楽しい!
伝統と流行が混ざり合うDEEPでPOPな盆踊り【中野駅前大盆踊り大会】
中野駅前大盆踊り大会に参加してきた。今年で4回目というまだ新しい盆踊りだ。中野サンプラザ前の広場で行われていて、駅が近いこともあって会場は多くの人で賑わっている。私が会場に着くと、すでに踊りの輪が何重にもなっていた。
錦糸町を思わせる生唄生演奏スタイル
どんな曲でもかかって来い!J-POP盆踊り
若者が熱狂!!これぞ進化形盆踊り【にゅ〜盆踊り】
7月16日。池袋西口公園で行われた『にゅ〜盆踊り』に参加してきた。開催は今年で9回目で、去年までは1日だけの開催だったが、今年は2日間行なわれた。前から気になってはいたのだけれど、他の盆踊りと日程がかぶったりでなかなか機会がなかったのだが、ようやく行くことができた。
にゅ〜盆踊りとは、近藤良平さんが主宰の「コンドルズ」というダンス演劇コント集団(サラリーマンNEOなどに出演)が企画した盆踊りで、オリジナルの振り付けやユニークな仕掛けがふんだんに盛り込まれている。開催当初は、池袋にある「あうるすぽっと」という劇場で公演&ワークショップという形でやっていたらしい。その後、今の櫓を中心に輪になって踊る、いわゆる “盆踊りスタイル” になっていったそう。
櫓の上にはコンドルズのメンバーたちがいて、振り付けを教えてくれる。ワタシが会場に着いた時は「天草小唄」という熊本民謡の振り付けを教えている最中だった。早速、輪の中に加わる。
「ここはサザエさんの動きね〜!(列になって家に入っていく時のアレ)」など、楽しく分かりやすく面白く教えてくれるので、これは盆踊り初心者でも楽しめるかも、と思った。振り付けも今風な動きを取り入れて、若者が参加しやすいようになっていた。実際ほとんどが10代〜30代の若者たちで、コンドルズのファンらしき人たちが多くいた。(というかここに来る人はほとんどがファンなのかな?)
こ・・これがウワサの超高速リンダ!!
次に、何やら短い甚平を着たアイドルのような可愛い女の子達が櫓の上に上がった「プロジェクト大山」というコンドルズの妹分らしい。
ヨッ!待ってました!!といった感じで、会場は一気にボルテージが上がる。そして、ウワサには聞いていたあの曲がかかる。
山本リンダの 「どうにもとまらない」だ。
まずは大山がお手本を見せるため踊り出すと、アイドルのコンサート会場に来たのかと錯覚するほどの熱狂ぶり。そしてもはや盆踊りの枠を超えている高速で激しいダンス。『な、なんだこの振り付けは、、!!』こ、これを踊るの?と少々戸惑っていたワタシだが、周りを見ると、早く踊りたいといった感じでみんな目がキラキラしている。そんな空気感にワタシも徐々に飲み込まれていき、、
次の瞬間には腰をフリフリしていた。
浴衣が崩れるのも気にせず、飛んで跳ねて回って腰をフリフリして、しまいには、一周ではもの足りずアンコール!アンコール!と叫んでいた。まさに “どうにもとまらない” 状態。
激しい踊りと、人々の熱気にクラクラしつつ、しばしの休憩時間で出した汗の分だけビールを流し込む。
強制コミュニケーション!“フォークダンス式”盆踊り
コンドルズが生み出した音頭、「にゅ〜盆踊り」はペアになって踊るらしい。指示された通りに、その場で初めて出会った人とハニカミながらもペアになる。これは、踊るたびに相手が次から次へと変わっていくというシステムになっている。見ず知らずの人たちと向かい合って、手をパチンと合わせたりするのは、照れつつもなんだか心地いい。途中、相手を誘惑する様な小っ恥ずかしい振り付け(通称、夏木マリ) があるのだが、テンションが上がってるのとお酒のチカラも借りて、みな妖艶な表情で相手を誘う。
こんなにも、一緒に踊っている人たちの顔が見れる踊りは無いかもしれない。輪になって踊る盆踊りは大体、左右どちらかの方向に回るから、隣の人の背中を見て踊るか、中央の櫓を見て踊ることが多い。また、通常の盆踊りでのコミュニケーションは、輪の中であくまで “自然” と、隣の人に踊りを教えてもらったり、会話が生まれたりという感じだが、にゅ〜盆踊りでは、半ば “強制的”にコミュニケーションを生み出すといった感じである。
もうひとつ面白いなと思ったのは、事前に踊りの講習会 (ワークショップ) に参加すると、「しゃ〜隊」という名の盆踊りリーダーになる。当日、しゃ〜隊は積極的に踊りに参加し、周りの人に踊りを教えたり、踊っていない人に声をかけたり、列を整えたりと、いちスタッフとして働くのだ。こうした人たちを散りばめることによって、会場がより一体となり、盛り上がる。
その後も、オリジナル振り付けの「東京五輪音頭」や、シウマイの振り付けが可愛い「崎陽軒音頭?」や、なかなか終わらない「お祭りマンボ音頭」などを踊った。
若者たちが狂ったように踊っているのを見て、こんなにも盛り上がる盆踊りがあるのかと、驚いたと同時に嬉しくもあった。確かに、これまでの盆踊りとはひと味もふた味も違う、まさに “にゅ〜” な盆踊りであった。
盆踊りはまだまだ色々な可能性を秘めているのかもしれない。
【 にゅ〜盆踊り 】
東京都豊島区西池袋 池袋西口公園
毎年7月中旬あたり (要確認)