盆踊り中心の生活

盆踊りや祭りの体験記。身体で心で感じたことを綴っていきます。あぁ、明日はどこで踊ろうか。

《うたたねで踊るvol.3》想いと共に踊る

 

祖父が旅立った時、ワタシは盆踊りを踊っていた。

 

 

 

祖父は、新潟の片田舎で魚の養殖業を営んでいた。

働き者の祖父は、責任感が人一倍あり、大胆で頑固だけど丁寧で義理堅く、幼い頃からワタシの憧れの人であり、一番尊敬する人だ。

 

 

 

 

家族から連絡が来たのは朝方だった。

 

 

 

 

「おじいちゃんが亡くなった。」

 

 

 

約一年前から、祖父は病と闘っていた。

ワタシはそのあいだ、少しでも祖父と一緒に過ごしたいと思い、時間とお金の許す限り田舎に帰った。

祖父から教えてもらいたいことがたくさんあった。

 

 

 

知らせが来た時、ワタシはまだ、祖父の死を信じられずにいた。

 

 

覚悟はしていたつもりだったのだが、実際は覚悟なんて全くできていなかった。

 

人が死ぬということがどういうことなのか、全く想像できていなかった。

 

 

ただ、涙だけが止まらなかった。

 

 

 

 

 

機能が停止してしまったような脳みそを、どうにかこうにか動かし、まずは田舎に帰る準備と、仕事の調整をした。

 

 

そして、ワタシは迷っていた。

 

 

 

 今日は盆踊りがあった。

 

 

 

 

散々泣いた挙句、盆踊りに行くか行かないかを考えているなんて、なんて不謹慎な奴なんだと、自分を呪った。

 

 

 

すぐにでも、祖父の元へ駆けつけたいと思う反面、

今ワタシにできる事、ワタシらしくいられる事は、盆踊りを踊る事なのではないか。

そんな想いが沸々と湧いてきて、次第に大きくなっていった。

 

 

こんな時に盆踊りを踊るなんて、他の人が聞いたら、おかしな事を言っているのかもしれない。 

ただ祖父の死を受け止められていないだけかもしれない。

 

 

しかし、祖父なら、ワタシらしいと笑って喜んでくれるような気がした。

 

 

 

人間は勝手な生き物だな、と思った。

しかし、その勝手さのお陰で人間は生きていけるのかもしれない。 などと、また勝手な事を思った。

 

 

最後は、大切な人の言葉が背中を押してくれた。

何が正解か、不正解かなんて分からないけれど、少なくともこの時、ワタシと同じ事を考えている人がいてくれるということが、嬉しかった。

 

 

 

会場に着き、知っている顔がちらほら見えた時、ここにいていいのだ、という安心感のようなものを感じ、すうっと気持ちが楽になった。

 

 

 

 

今日は祖父のために踊ると決めた。

 

 

 

 

こんな気持ちで盆踊りを踊ったのは、初めてだった。

踊っている時、油断すると涙が溢れそうになったが、それは、悲しいからなのか、幸せだからなのか分からなかった。多分、両方だったのだと思う。

途中、なんだか身体がふわふわと浮いているような、優しい何かに包まれているような、不思議な感覚を覚えた。

とにかく、盆踊りは最高に楽しかった。

 

 

  

 

次の日、ワタシは田舎に帰った。

祖父の亡骸も、住み慣れた家に帰っていた。

祖父がずっと守ってきた家だ。

見慣れた家が、いつもと違うように見えた。

 

 

ワタシは、玄関の前で足が動かなくなった。

 まだ祖父の死を受け入れたくなかったのだ。

 

 

ワタシは子供のように泣いた。

 

 

 

祖母が優しく声をかけてくれ、ようやく落ち着き、お線香をあげた。

 

「顔を見てあげて。」と言われたが、正直怖かった。

亡くなった人はどんな顔をしているのか、想像を超えすぎていて、想像がつかなかった。

なによりも、見てしまったら、祖父の死を受け入れてしまうような気がして、怖かったのだ。

 

 

祖母が、顔にかかっている白い布をそっとめくった。

  

 

そこには、幸せそうな祖父の寝顔があった。

 

 

本当に、死んでいるのだろうか。

 

 

確かに、ワタシの知っている祖父に比べ、痩せ細っているが、今にも起き上がりそうなくらい、綺麗な寝顔だった。

  

 

 

この期に及んでもまだ信じられず、二人きりになった時に、「今なら起きてもいいよ!」と言ってみたりもした。

しかし、当たり前だが、動くことはなかった。

触れると、今まで感じたことのない冷たさだった。

 

ワタシは、心の中で、昨日の出来事を報告した。

なんだか、笑っているような気がする。と、また勝手なことを思った。

 

 

ワタシたち家族は数日間、祖父の側で、酒を呑んだり、昼寝をしたりした。線香を絶やさぬよう、祖父が寂しくないよう、朝も夜も代わる代わる祖父の側に行った。

親戚や近所の方々も、ひっきりなしに線香をあげに来てくれた。

 

 

ワタシはだんだんと、このまま祖父の形があれば寂しくないかも、と思うようになっていた。

 

ニュースなどでそんな話を聞いた事があるが、今ならその気持ちが分からなくもないかも、と思った。

  

 

 

しかし予定通り、納棺、出棺、お通夜、お葬式、と進んでいった。

 

 

それらの儀式は、すべてが美しかった。

 

 

 

そして、さっきまで確かにあった祖父の形がなくなってしまった時、ようやく、祖父の死を受け入れられたような気がした。


遥か昔から、人間は皆こうやって廻っているんだと、自分の頭で身体で感覚で、やっと少し理解できたような気がした。

 

祖父が魚にエサをやる姿も、魚の匂いが染み付いた祖父の匂いも、くっきりと、はっきりと、ワタシの目や鼻や、身体の細胞のすべてが記憶している。

 

それが分かった時、悲しいというよりも、むしろ、祖父の姿や匂いや言葉が、ワタシの心の中により強く刻まれたような気がして、心強かった。

 

 

 

 

人が人を想うところから、盆踊りは始まったのではないかと思う。

 

“ 想い ” という形のないものの存在は、不確かなものであるが、しかし、一番確かなものなのかもしれない。

 

複雑な、無雑な想いは、渦を巻き、大きなエネルギーを生み出す。

そして、それは、現世を生きる人たちの生命力になるのではないかと思う。

 

 

 

ワタシは祖父から、何物にも代えがたい、素晴らしい宝物をもらった。

 

 

 

お盆に帰ってきてくれたら、お酒を呑みながら、一緒に盆踊りを踊りたいなぁ。

 

 

 

なんて言ったら、また祖父が笑っているような気がした。

 

f:id:iro_sai:20171012233008j:plain

 

 

 

 ※《うたたねで踊る》は、うたたねをしている時のように、夢と現実をさまよいながらゆるりと綴っているので、ゆるりと読んで下さいませ。