盆踊り中心の生活

盆踊りや祭りの体験記。身体で心で感じたことを綴っていきます。あぁ、明日はどこで踊ろうか。

音頭取りの神技とエネルギッシュな踊り【上野の盆踊り】

2017年8月15日。福井県南越前町上野にある栄泉寺で行われる、上野の盆踊りを訪れた。

 

以前、踊り仲間からここの盆踊りのことを教えてもらい、現地で録音した音源を聴かせてもらったのだが、聴いた瞬間「これは行かなければ」と思った。どんな盆踊りが行われているのか、想像するとワクワクが止まらなかった。

 

 

上野は、近くに北陸自動車道が走るが、そこから一本道を入った静かな山あいの集落だ。

目的地の栄泉寺に近づくと、道沿いに『はねそ』『どどら』などと書かれた提灯が点々と並んでおり、会場までの道案内をしてくれていた。おそらくこの文字は盆踊りの曲目のことだろう。

 

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提灯に従って進むと、目がチカチカするほどの蛍光色で『ようこそ上野盆踊りへ 〜みんなで踊ろう盆踊り〜 』と描かれたゲートが現れた。静かな集落にこの派手な演出がなんだか可笑しくて、もうこの時点でワタシのハートはガッチリ掴まれていた。

 

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受付の女性たちに挨拶をし、東京から来たことと、初めて参加することを話すと、皆さん笑顔で歓迎してくれた。そして言われるがままに名前と住所を記入すると、番号札を付けてもらった。3番だ。「頑張って下さいね〜!」と見送られたが、ワタシはこれから何が起こるのかいまいち分かっていなかった。そういえば、看板には『懸賞』と書いてあった。とりあえず、頑張ったら何かが貰えるかもしれないらしい。

 

 

境内には櫓が立っている。提灯の赤色が暖かく “ぼやぁ” っと浮かび上がる様子はいつ見ても大好きだ。この世とあの世を繋ぐ、不思議な色だ。

  

 

少し時間が早かったため、まだほとんど誰もいなかったが、お寺のお堂の階段に小さなおばあさんがひとり座っていた。挨拶をすると、なにやらペラペラと話し始めたのでわたしも隣に座ることにした。おばあさんは、「もうここへ来て60年になる」「昔は踊ったんだけどね」などとお話しをしてくれた。知らない土地で初めて会った人なのに、無性に居心地が良くて、何時間でも話していられるような気がした。

 

 

気付けば、徐々に人が集まりだし、さっきまで静かだった境内に子供たちの楽しそうな声が響き渡っている。

 

 

盆踊りが始まる夜の8時になった。

すると、何やら遠くの方から騒がしい声が近づいてくる。隣にいたおじさんが、「来たぞ来たぞ〜」と言うので、声が聞こえる方へ行ってみると、揃いの浴衣を着た男性たちが、唄を歌いながら境内に入ってきた。

 

ずいぶん上機嫌だなぁ。

 

いや、、、

 

完全に酔っ払ってる!!!

 

 

聞くと、保存会の方々は盆踊りが始まる前にお寺の近くの集会所でしこたまお酒を飲むらしく、始まる頃には皆さんかなりいい感じに出来上がっているそうだ。

 

千鳥足の男性たちは、唄いながら櫓の周りを踊りはじめ、次第に輪になっていく。

これが盆踊りスタートの合図のようで、待ってました!と、その後ろから子供達や他の参加者たちも輪に加わり、境内は一気に楽しい雰囲気でいっぱいになった。

 

そんな粋な演出に、ワタシは心の底から喜びが 溢れ出てきて、身体の細胞たちがウズウズと騒ぎ出した。早速ワタシも輪に加わり、見よう見まねで踊りはじめる。

 

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 一番初めは『どどら踊り』という曲で、これは雨乞いの踊りと言われているそうだ。

 

上野の盆踊りは、県の無形民俗文化財に指定されており、音頭取りの唄声のみで踊るシンプルな盆踊りだ。しかし、音頭取りの力強く伸びやかな唄声に、踊り手の威勢のいい合いの手が加わり、とても賑やかで明るい雰囲気が漂っている。

『はねそ踊り』を中心に、曲目は15種類ほどあり、櫓の上にいる4名の音頭取りがDJのように切れ目なく次々と曲を繋いでいく。これがめちゃくちゃカッコいいのだ。うまいこと曲調が変わる様子は、まさに神技だ。

 

それに合わせて、踊りも途切れることなく変わっていく。踊りの種類も様々で、伸びやかに手足を動かす踊りや、軽快なステップを踏む踊りなど、ワタシはついて行くので必死だった。

 

櫓の下には酒樽がドーンと置いてあり、踊っていると保存会の方々が柄杓で日本酒を振舞ってくれる。

酒好きなワタシとしては最高に嬉しいので喜んで頂いていたのだが、断るということを知らないワタシは、次々と柄杓を口に運び、櫓の周りをまわる度に、酔いもまわっていった。

 

 

踊りの輪の中には、一人異様な格好をした人がいる。笠をかぶり、ミノを着て、なにやら長い竹の棒を持ちながらウロウロとしている。

その怪しい風貌と、棒を引きずり砂を掻く音が、なんとも奇妙で少々不気味だ。

これは、「ミノムシ」と呼ばれ、踊りの輪を整理する役目なのだそうだ。また、悪さをするものを制し、風紀の乱れを正すという意味合いもあるらしい。

輪が乱れると、棒で “ビシャンビシャン” と地面を叩いたり、輪からはみ出ないよう棒で円を描いたりしている。

ある程度理解できるくらいの子供は笑っているのだが、赤ちゃんは大泣きしている。

こういう、子供の頃に出会う何か分からないけれど “怖い” 存在というのは、大人になってからも無意識の中に存在し、いつまでも自らを律することを教えてくれるような気がする。

 

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保存会の方々はとても気さくで(酔っぱらっていることもあり)付きっきりで教えてくれたり、もっといい先生がいるから!と、奥様を連れてきて教えてくれたり、至れり尽くせりだ。

ワタシはそれに答えるべく、本気で踊った。

「腰使いがなってない!」とダメ出しをされながらも、本気で踊った。

  

 

上野の盆踊りは、岐阜県の郡上おどりがルーツになっているそうだ。踊りは違うが、曲目に『松坂踊』があるのはその名残りだろうか。気になったのは滋賀県江州音頭とほぼ同じ振り付けがあり、曲目にも『江州踊』がある。また、富山県から伝わったのか越中踊』というのもある。隣接する土地の踊りが集まり、さらに独自の変化を遂げて今の形になったのではないかと想像できる。

 

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だんだんと、音頭取りの唄のペースが上がっていき、それにつられて踊りも激しさを増してきた。

ラップもしくは早口言葉を連ねたかのように次々と湧き出る言葉に合わせて、ほとんど走るように、手足を右へ左へ後へ前へ!ワタシは足がもつれるもつれる!合いの手にもさらに気合いが入り、境内はものすごい熱気に包まれていた。田舎の小さな境内でこんなにも多様でエネルギーに満ち溢れた盆踊りが行われていたとは、、、!

 

そしてとても感動したのは、たくさんの子供たちが一生懸命踊っていることだ。しかもみんな踊りがとても上手で、ちゃんと次の世代へ引き継がれていることを感じ、勝手に嬉しくなった。ワタシも子供たちをお手本に、負けじと踊る踊る踊る踊る!

  

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そうそう。気になる『懸賞』はというと、盆踊りのあいだ、数名の審査員が踊りの審査をしていたのだ。その得点に応じて賞品がもらえるというシステムになっている。

時折、踊っている最中に懐中電灯で、浴衣に付けている番号札を照らされ、「はい、3番ね」と言ってなにやら記入している。

 

見られてると思うと、踊りにも気合いが入る。が、その意思とは反してなかなか上手く踊れない。なぜなら酔っ払っているからだ。

 

 

幸福感と疲労感がごちゃまぜになった頃、ようやく、必ず最後に踊るという『千本搗き』が始まった。みんなこれを待ちわびているそうだ。最後の力を振り絞って踊る。気付けば、踊り始めてから3時間が経っていた。その間、唄も踊りも途切れることなく、ノンストップでまわり続けていた。

 

この土地のエネルギーと人々のエネルギーが混ざり合い、解放されていく。

そして、人間の原始的な部分が露わになった時、森羅万象(もしくはそれ以上の何か)と繋がれたような、理屈でも言葉でも表せない感覚の波が静かに、時に激しく押し寄せてくるのだ。

 

 

そしてついに、唄い続けていた唄声が聞こえなくなり、鳴り続けていた下駄の音が鳴り止むと、拍手と共に、盆踊りが終了した。

ワタシは今にも膝から崩れ落ちそうになるのをこらえて、呆然と立ちすくんでいた。

 

 

 

間もなくして表彰式が始まった。

まずは子供の部から発表されていく。

子供達は目をキラキラさせて自分の名前が呼ばれるのを待ちわびている。

 

「あ〜やっぱりあの子上手かったもんな〜」「この子も結構がんばってたけどな〜」

と、近所のおばちゃんのような心持ちで発表を聞いていた。やはり、人に見られて評価されるというのは子供も大人もドキドキするものだ。もちろん、盆踊りは上手いも下手も関係ないのだけれど、しかし、そのドキドキや嬉しさや悔しさがあるからこそ、もっと上手くなりたい、もっと知りたい、と好奇心を持つことができるのだ。

 

懸賞システム素晴らしいじゃないか!!

 

 

そしてついに大人の部が発表される。

ワタシは、あわよくば、、と期待する気持ちを抑えつつ冷静に数字を聞いていた。

 

 

 

「、、、3番」

 

 

 

ぎゃーーー!!!

ビックリしたのと嬉しさで飛び跳ねそうになった。(実際ちょっと飛んでたかも)

 

地元の方々の拍手に包まれながら、両手で抱えるほどの大きな賞品を受け取った。

ワタシは『羽根曽賞』という賞を頂いた。

「初めての人でなかなか羽根曽賞は取れないよ〜」「頑張って良かったな〜!」と地元の方々から声をかけていただき、賞をもらえて嬉しいのと皆さんの温かさにウルッと感激してしまった。 

 

「ここの土地も人も盆踊りも大好きだーーー!!!」

 

と、叫びたい気持ちを抑えながら、静けさを取り戻した境内をあとにした。

 

 

 

盆踊りが終わった後は、いつも少し寂しい気持ちになる。ずっとこの時間が続けばいいのに。

 

でも、この “お盆だけの出逢い” がワタシをワクワクさせてくれるのだ。

想いを馳せ、何度も何度も思い出せばいいじゃないか。

 

 

さあて。ここでの記憶と大きな賞品を抱えて、また日常へ戻るとするか。

 

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 【上野の盆踊り】

福井県南越前町上野  栄泉寺境内

毎年8月15日 20時頃〜

 

《うたたねで踊るvol.3》想いと共に踊る

 

祖父が旅立った時、ワタシは盆踊りを踊っていた。

 

 

 

祖父は、新潟の片田舎で魚の養殖業を営んでいた。

働き者の祖父は、責任感が人一倍あり、大胆で頑固だけど丁寧で義理堅く、幼い頃からワタシの憧れの人であり、一番尊敬する人だ。

 

 

 

 

家族から連絡が来たのは朝方だった。

 

 

 

 

「おじいちゃんが亡くなった。」

 

 

 

約一年前から、祖父は病と闘っていた。

ワタシはそのあいだ、少しでも祖父と一緒に過ごしたいと思い、時間とお金の許す限り田舎に帰った。

祖父から教えてもらいたいことがたくさんあった。

 

 

 

知らせが来た時、ワタシはまだ、祖父の死を信じられずにいた。

 

 

覚悟はしていたつもりだったのだが、実際は覚悟なんて全くできていなかった。

 

人が死ぬということがどういうことなのか、全く想像できていなかった。

 

 

ただ、涙だけが止まらなかった。

 

 

 

 

 

機能が停止してしまったような脳みそを、どうにかこうにか動かし、まずは田舎に帰る準備と、仕事の調整をした。

 

 

そして、ワタシは迷っていた。

 

 

 

 今日は盆踊りがあった。

 

 

 

 

散々泣いた挙句、盆踊りに行くか行かないかを考えているなんて、なんて不謹慎な奴なんだと、自分を呪った。

 

 

 

すぐにでも、祖父の元へ駆けつけたいと思う反面、

今ワタシにできる事、ワタシらしくいられる事は、盆踊りを踊る事なのではないか。

そんな想いが沸々と湧いてきて、次第に大きくなっていった。

 

 

こんな時に盆踊りを踊るなんて、他の人が聞いたら、おかしな事を言っているのかもしれない。 

ただ祖父の死を受け止められていないだけかもしれない。

 

 

しかし、祖父なら、ワタシらしいと笑って喜んでくれるような気がした。

 

 

 

人間は勝手な生き物だな、と思った。

しかし、その勝手さのお陰で人間は生きていけるのかもしれない。 などと、また勝手な事を思った。

 

 

最後は、大切な人の言葉が背中を押してくれた。

何が正解か、不正解かなんて分からないけれど、少なくともこの時、ワタシと同じ事を考えている人がいてくれるということが、嬉しかった。

 

 

 

会場に着き、知っている顔がちらほら見えた時、ここにいていいのだ、という安心感のようなものを感じ、すうっと気持ちが楽になった。

 

 

 

 

今日は祖父のために踊ると決めた。

 

 

 

 

こんな気持ちで盆踊りを踊ったのは、初めてだった。

踊っている時、油断すると涙が溢れそうになったが、それは、悲しいからなのか、幸せだからなのか分からなかった。多分、両方だったのだと思う。

途中、なんだか身体がふわふわと浮いているような、優しい何かに包まれているような、不思議な感覚を覚えた。

とにかく、盆踊りは最高に楽しかった。

 

 

  

 

次の日、ワタシは田舎に帰った。

祖父の亡骸も、住み慣れた家に帰っていた。

祖父がずっと守ってきた家だ。

見慣れた家が、いつもと違うように見えた。

 

 

ワタシは、玄関の前で足が動かなくなった。

 まだ祖父の死を受け入れたくなかったのだ。

 

 

ワタシは子供のように泣いた。

 

 

 

祖母が優しく声をかけてくれ、ようやく落ち着き、お線香をあげた。

 

「顔を見てあげて。」と言われたが、正直怖かった。

亡くなった人はどんな顔をしているのか、想像を超えすぎていて、想像がつかなかった。

なによりも、見てしまったら、祖父の死を受け入れてしまうような気がして、怖かったのだ。

 

 

祖母が、顔にかかっている白い布をそっとめくった。

  

 

そこには、幸せそうな祖父の寝顔があった。

 

 

本当に、死んでいるのだろうか。

 

 

確かに、ワタシの知っている祖父に比べ、痩せ細っているが、今にも起き上がりそうなくらい、綺麗な寝顔だった。

  

 

 

この期に及んでもまだ信じられず、二人きりになった時に、「今なら起きてもいいよ!」と言ってみたりもした。

しかし、当たり前だが、動くことはなかった。

触れると、今まで感じたことのない冷たさだった。

 

ワタシは、心の中で、昨日の出来事を報告した。

なんだか、笑っているような気がする。と、また勝手なことを思った。

 

 

ワタシたち家族は数日間、祖父の側で、酒を呑んだり、昼寝をしたりした。線香を絶やさぬよう、祖父が寂しくないよう、朝も夜も代わる代わる祖父の側に行った。

親戚や近所の方々も、ひっきりなしに線香をあげに来てくれた。

 

 

ワタシはだんだんと、このまま祖父の形があれば寂しくないかも、と思うようになっていた。

 

ニュースなどでそんな話を聞いた事があるが、今ならその気持ちが分からなくもないかも、と思った。

  

 

 

しかし予定通り、納棺、出棺、お通夜、お葬式、と進んでいった。

 

 

それらの儀式は、すべてが美しかった。

 

 

 

そして、さっきまで確かにあった祖父の形がなくなってしまった時、ようやく、祖父の死を受け入れられたような気がした。


遥か昔から、人間は皆こうやって廻っているんだと、自分の頭で身体で感覚で、やっと少し理解できたような気がした。

 

祖父が魚にエサをやる姿も、魚の匂いが染み付いた祖父の匂いも、くっきりと、はっきりと、ワタシの目や鼻や、身体の細胞のすべてが記憶している。

 

それが分かった時、悲しいというよりも、むしろ、祖父の姿や匂いや言葉が、ワタシの心の中により強く刻まれたような気がして、心強かった。

 

 

 

 

人が人を想うところから、盆踊りは始まったのではないかと思う。

 

“ 想い ” という形のないものの存在は、不確かなものであるが、しかし、一番確かなものなのかもしれない。

 

複雑な、無雑な想いは、渦を巻き、大きなエネルギーを生み出す。

そして、それは、現世を生きる人たちの生命力になるのではないかと思う。

 

 

 

ワタシは祖父から、何物にも代えがたい、素晴らしい宝物をもらった。

 

 

 

お盆に帰ってきてくれたら、お酒を呑みながら、一緒に盆踊りを踊りたいなぁ。

 

 

 

なんて言ったら、また祖父が笑っているような気がした。

 

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 ※《うたたねで踊る》は、うたたねをしている時のように、夢と現実をさまよいながらゆるりと綴っているので、ゆるりと読んで下さいませ。

 

 

《うたたねで踊るvol.2》岡本太郎が見ていた祭りの景色

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 “祭りは人生の歓び、生きがいだ。ふだん人は社会システムにまき込まれ、縛られて、真の自己存在を失っている。だが祭りのときにこそ宇宙的にひらき、すべてと溶けあって、歌い、踊り、無条件に飲み、食らい、全人間的なふくらみ、つまり本来の己をとりもどすのだ。”

 

“確かに、日常の生活は秩序なしには成り立たない。ルールに従い、苦労して糧を得る。だがそういう、社会生活を維持していくための規制、ノーマルな掟とは別のスジが、人間をつき動かす。ある時期に、突然秩序をひっくりかえす。いわば社会の対極的力学の不可欠の要素として、無条件の生命の解放、爆発が仕組まれている。そのとき人間は、日常の己を超えて燃えあがり、根源的な炎、宇宙と感動的に合体するのだ。それが「祭」だ。”

 

“かつての祭りにおいて、人々は超自然の神秘と交通し、ふだんの自分でない、自分を超えた存在になった。みんなが一体になって祭りを創り上げたのだ。
現代生活にはかつてのような神聖感はない。だが「人間」であることの深さと豊かさ、怖しさをも含めて、新たな決意で人生に対面し、存在の凄みに戦慄することは出来るだろう。それは新たな、生きるよろこびを回復することだ。そのような衝撃的なチャンスとして、すべての人が身をもって参加する祭りを創造したい。これが本当の人生であり、芸術であるからだ。”

 

 

 

岡本太郎が日本各地の様々な祭を巡って、写真と共に残した言葉たちだ。

冒頭の言葉に、一瞬で心を奪われた。

「そうだよ、そうなんだよ!」と思わず膝を打たくなるような言葉で溢れかえっていて、嬉しくなった。

祭りによって岡本太郎の心が揺さぶられている様子が、読んでいるワタシにもひしひしと伝わり、ワタシの感情までもが揺さぶられた。そして、その感動を実際に体験していることに羨ましさを感じた。


岡本太郎自身が撮った写真はどれも生々しくて、人々の息づかいや匂い、生活が伝わってくる。

昭和三十年代を中心とした写真や言葉なのだが、中には今も変わらぬ風景や人々の情熱がちゃんと残っているものもある。

何十年、何百年と受け継がれてきた祭りの姿に (微妙な変化、進化はあったとしても) 心を奪われる。


時代の変化によって無くなってしまった祭も、おそらく数え切れないほどあると思うが、その情熱だけはどこかで生き続けていて欲しいと願う。

 

 

祭の非日常の世界から、日常に戻ってくるのはなかなか大変だ。しかし、普段の生活があってこその祭。人間には「ハレ」と「ケ」が必要なのだ。そのどちらも欠いてはいけない。

 

 

エネルギーが爆発する瞬間は生きていることをまざまざと実感させられる。言葉では言い表せないほどの充実感と幸福感に包まれる。しかしその代償に、疲労感や寂寥感も襲ってくる。


普段からこんなに感情がアップダウンしていたら、身も心ももたないので、穏やかに日常生活を送り、フラットな状態に戻す必要がある。生きるとは常にその繰り返しなのだろう。

 

 

なんだかとても人間らしくて、安心する。 

そうやって上手く折り合いをつけてやってきたのだろう。

人間には「そういうもの」が必要なのだと思う。

 

 岡本太郎は祭りを通して、人間の本来の姿を、人間のおもしろさを見ていたのだろう。

 

 


さ、気持ちを切り替えて、日常生活に戻る準備をしなくては。

 

 

“今日もないし、明日もない。今だ。自分は自分であると同時に、みんなである。みんなであると同時に自分なのだ。
まさしく、今日があるがための命であったし、火が燃え、笛が鳴り、太鼓がとどろき、中空に月が冴える。
ここに人間と霊のなまなましい交流、対決が出現している。”

 

( 「岡本太郎と日本の祭り」より引用 )

 

 

※《うたたねで踊る》は、うたたねをしている時のように、夢と現実をさまよいながらゆるりと綴っているので、ゆるりと読んで下さいませ。

 

 

《うたたねで踊るvol.1》盆踊りの記憶

今日は実家がある新潟に帰る予定だった。

しかし、風邪をひき、一日中布団の中で過ごす羽目になってしまった。

 

こんなに身体が重く、頭がボーっとしているのにも関わらず、ワタシはまた盆踊りのことを考えていた。

 

 

幼い頃の記憶を遡った。

毎年お盆の頃になると、家族みんなで隣町にあるおじいちゃん、おばあちゃん、いとこ達が住む家に遊びに行く。

築180年ほどになるその家は、改築を繰り返して、もはや迷路か忍者屋敷のようになっている。幼いワタシ達にとっては格好の遊び場だった。

ワタシはその家が大好きだ。ワタシが住んでいた町ナカにある家よりも、自然が豊かで、田畑に囲まれ、水が流れ、様々な木や植物が生え、虫もたくさんいた。

新潟というと豪雪のイメージが優先されるが、ワタシ達が住む場所は盆地ということもあり、夏はうだるように蒸し暑い。その家にはもちろんクーラーなどはなく、扇風機と、家を通り抜ける風で暑さをしのいだ。畳に身体をベタッと張りつけると少しひんやりして気持ちがよく、畳の匂いも心地よかった。

 

幼いワタシと兄、いとこはアイスを咥えながら夢中でゲームをしたりビデオを観て過ごす。 飽きると、外に出て川で遊び、カブトムシかなんかを探す。夜になると花火をして遊んだ。

 

 

鮮明に覚えているのは、肝だめし大会だ。

家の敷地の横にお墓が並んでいて、その隣に2畳分くらいの小さな建物がある。障子を開けると、中にはお地蔵様がいて、そのお地蔵様にお菓子をお供えして、代わりにお札を取ってくるというものだ。昼間だったらなんら怖くないのだが、夜になると一変、あたりは暗闇に包まれ、時折生暖かい風が吹いてくる。そこを小さな懐中電灯を持って、1人づつ行かなくてはいけないのだ。

「行きたくない!」と泣きべそをかきながら必死に抵抗するが、いつも何故だかやる羽目になる。

タチが悪いのは、おばさんが自主作成した、怖いBGMとお化けの声を吹き込んだテープを流すのだ。(ヒュードロドロ〜うらめしや〜みたいな感じの)

無駄にクオリティが高く、いち家庭でやるには手が込みすぎているだろと子供ながらに思った。

 

無事に行って戻ってきたご褒美が何だったのは全く思い出せないのだが、とにかく怖かったという記憶だけは鮮明に残っている。

今でもお化け屋敷が苦手なのはこの時のトラウマなんじゃないだろうか。

 

 

 

そして、近くの神社でやっていた盆踊り大会にも出かけた。そこでは仮装大会があり、大人から子供まで様々な仮装をして踊る。その日は朝から、おばさんと一緒に、ダンボールや色紙などで自分のなりたいものを作る。

それなりに楽しかったはずなのだが、仮装するのがとても恥ずかしかったのを覚えている。幼い頃のワタシは今よりもさらに内弁慶で、キャラクターになりきってポーズを決めている兄やいとこの横でひとり恥ずかしさと戦っていた。

盆踊りを踊っていたかどうかの記憶は曖昧なのだが、提灯の灯りと櫓の上で太鼓が鳴っていたのは覚えている。恥ずかしさと戦いながらも、やっぱりお祭りの雰囲気は大好きだった。

 

といっても、夢レベルの記憶しか残っていないし、もしくは本当は夢だったのかもしれない。でも思い出すと温かい気持ちになるのは確かなのだ。

 

いつからか仮装大会に参加しなくなり、今はおそらく、その盆踊り大会もなくなってしまった。

 

お盆が過ぎてもまだ夏休みは続いたが、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこ達と離れ、また日常生活に戻ると思うとさみしくなった。幼い頃のワタシにとっては、たかが隣町でも立派な旅行だった。

 

 

 

ワタシの中の「盆踊り」は、これらの幼い頃の「暑い・怖い・恥ずかしい・楽しい・さみしい」という感情が絡み合って形成されている。

 

 

盆踊りに対して、人はどんなことを想うのだろう。なんとなく "懐かしい" という気持ちになるのは、盆踊りが多くの人の記憶の道を通ってきたからではないだろうか。もしかしたらそれは、現世を超えて辿り着いた記憶かもしれない。

盆踊りは宗教的なものであったり、コミュニティの場であったり、伝統文化であったり、様々な解釈を持つが、同時に、人それぞれの記憶の中の感情を揺さぶるものである。それぞれがそれぞれの記憶と共に踊っている。

ワタシは踊っていて、そんな気がするのだ。

 

 

大人になった今、内弁慶も少しはマシになり、気付けば、盆踊りの輪に飛び込んで踊ることも厭わなくなった。なんなら、喜んで仮装したい。

 

 

そして、幼い頃の自分に伝えたい。

「踊れ!恥ずかしくても間違えてもいいから。

そして、、コスプレは楽しいぞ!」

 

 

 

ワタシはあの頃の記憶に少しでも近づきたくて、これからも踊ってしまうだろう。

 


、、その前に風邪を治すことが先決だ。

 

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※《うたたねで踊る》は、うたたねをしている時のように、夢と現実をさまよいながらゆるりと綴っているので、ゆるりと読んで下さいませ。

月灯りの下で遠い昔の誰かと踊る【綾渡の夜念仏と盆踊り②】

夜念仏を唱えた後は、境内の広場で盆踊りが行われる。

 

お揃いの浴衣を着た保存会の方々や、着物を着た年配の女性、何人かの若い方々が、広場の端っこに1列になっている。広場の真ん中には夜念仏にも使われた、極楽と地獄の絵が描いてある折子灯籠が静かに佇んでいる。

 

「まずは越後甚句。」

マイクを持ったおじさんが言うと、そのまま唄い始めた。

列は踊りながら前へ進んで行く。踊り手は地元の方々ばかりだったので、少し躊躇したが、若い女性の方に手招きされ、ワタシも列の一番後ろに加えていただき、見よう見まねで踊り始めた。

 

綾渡の盆踊りは、お囃子などは一切なく、音頭取りの唄声だけで踊る、とても素朴な盆踊りだ。年配の男性の、ゆったりと強弱をつけた味わい深い唄声が綾渡の山々に響き渡る。

 

 

列は踊りながら折子灯籠を中心に、徐々に輪になっていく。踊りもシンプルで、下駄で地面を擦るように足を運ばせていく。

 

 

綾渡の盆踊りで踊られるのは10曲。

『越後甚句』『御嶽扇子踊り』『高い山』『娘づくし』『東京踊り』『ヨサコイ節』『十六踊り』『御嶽手踊り』『笠づくし』『甚句踊り』

 

扇子を使う踊りと、手踊りがある。

 

 

 盆踊りで使われる扇子には、

 

「足助綾渡おどり  セー綾渡踊りは  板の間で踊れ  板の小拍子でノオサ  三味やいらぬ  トコドッコイ  ドッコイショ」

 

と書かれている。これは、一番最後に踊られる『甚句踊り』の歌詞だ。

 

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昔はお寺の板の間で踊っていたそうで、三味線など楽器がなくても、踊る人々の足の音や板の間の軋む音がその代りになっていたのだ。

現在は外で踊っているのでこの音を聞くことは出来ないが、下駄が砂を蹴る音も、素晴らしい音色を奏でていた。

 

 

 

次に扇子を使う踊りが始まり、一気に難易度が上がった。新野の盆踊りでも思ったのだが、扇子をうまく扱うのは本当にむずかしい。

 

初めて踊る踊りに四苦八苦していると、見かねた保存会の方が親切に教えてくださった。

優雅に踊るおじ様、おば様方。やはり長年踊っていて身体に染み付いているのか、背中こそ曲がっているものの、味わいのある、しなやかなその動きに、''なかなかこの感じは出せないな''  と、到底超えられない、人間としての深み、のようなものに圧倒されてしまった。

  

 

綾渡の盆踊りは、夜念仏の余韻を残した厳かな空気の中に、明るい調子の曲と、どことなくコミカルな踊りが混ざり合って、独特な雰囲気を作り上げていた。決して賑やかで派手な盆踊りではないが、とてもおもしろいと思った。

じわじわと楽しさが込み上げてくる、といった感じだ。

 

 

音頭取りが唄う曲の歌詞をよーく聞いていると、

「歌が出なけりゃ馬のケツなめよ」とか、

「お釈迦様でもバクチに負けて」など、

プッと笑ってしまいそうな歌詞が聞こえてくる。

 

それに応えるように、踊り手たちは、

「チョコチョイ」「トコドッコイドッコイショ」「トコサードッコイサ」

などの合いの手を入れ、盛り上げる。


音頭取りが歌詞を忘れてしまった時は、みんな笑顔でからかいながら、終始和やかな雰囲気が漂っていた。

 

 色恋ものの曲が多いようで、保存会の方は、「ここの唄は下ネタが多いんだよ〜ははは〜っ 笑」と嬉しそうに話していた。

特に『娘づくし』の歌詞は下ネタだらけだそうで、、

 

 

♪ 嫁にとりたや茶わん屋の娘  傷があるかと問うたなら  まんだ割れてはおりません

 

♪無償に入れたがる桶屋の娘  堅いを自慢にしめたがる  底をたたいてみな入れる

 

 

おおお!素晴らしい!!

洒落を効かせた表現が実に素晴らしい!

昔の人は言葉遊びの天才だな、と感動して、思わず ''エロは文化だ!'' と叫びそうになった。(抑えました)

 

 

曲が変わるたびに、次から次へと踊りも変化していき、ワタシはついていくので必死だったが、そんな中でも、ここに来れた喜びをじわじわと感じていた。

 

 

月灯りの下、音頭取りの唄声だけで、輪になり踊る。

 

いくらテクノロジーが進化しようとも、この瞬間だけは今も昔も変わらない風景なのだろう。

 

ワタシが盆踊りや祭りに取り憑かれてしまった理由もここにある。もしかしたら、遠い昔の誰かと今のワタシを重ね合わせて、

 

「ほら、人間って何も変わってないじゃん。」

 

と、言いたいのかもしれない。綾渡の盆踊りので素朴さが、それをまた思い出させてくれた。

 

 

 

最後の曲は『甚句踊り』だ。

これは稲の収穫の様子を表している踊りだそうで、投げて!引いて!巻いて!という風に教えて頂いた。手をクルクルと回す踊りはとても楽しくて、最後の踊りを、チカラ一杯踊った。

 

 

午後9時すぎ、音頭取りが唄うのを止めるのと同時に、綾渡の山里に静寂が戻った。

おつかれ様、と互いを労わり、散らばっていく人々。

 盆踊りの輪は、幻だったかのように、あっという間に消えてなくなった。

 

 

盆踊りがなければ、盆踊りにハマらなければ、絶対に一生来ることはなかったであろうこの場所に、いま立っていて、しかもそこで踊っていたということの不思議さと、幸福感がいっきに襲ってくる。

この土地の空気を感じ、匂いを感じ、音を感じたことは、ワタシの人生を確実に豊かにしていると思った。

 

 

そして、何よりも地元の方々がとても親切で温かくて、胸がいっぱいになった。
東京から踊りに来たと言うと、やはりびっくりした様子だった。よく来たね、と終了後の打ち上げにまで招いてくれ、もてなして頂いた。

保存会のおじさんは、なにで知ったの?と目を丸くし驚いており、インターネットに綾渡のことが載っていることすら知らない様子だった。

 

 

年々過疎化、高齢化が進み、伝統の継承が難しくなってきている。

実際、綾渡の夜念仏は昔、35歳までの若連中で行われていたが、青年の数が減少し継続が難しくなったため、昭和35年に保存会が結成された。

 

地元にこんなに素晴らしい伝統があるなんて、羨ましい!と純粋に思う反面、見えない膜のようなものに覆われている少しの息苦しさを感じた。

綾渡に生まれ育った人は、否が応でもこの地の「伝統」というものが付きまとってくる。継承していかなければ、という義務に近い空気も少なからずあるかもしれない。

しかし、地元を離れる若者も増え、それぞれの生活、仕事があり、お盆になったらここに帰ってくる者もいれば、そうでない者もいるだろう。

人々が自由に生き方を選択できる時代に伝統を継承していくことは、難しくなっているのかもしれない。

 

保存会の方々は、ぜひ綾渡の盆踊りを広めて欲しい、とおっしゃっていた。保存会も年配の方が多く、やはりみな危機感を抱えている。

 

一番こわいのは、忘れられてしまうことだ。

 

 

しかし、逆に考えれば、いままで知ることのなかった「伝統」は少しのきっかけで広く知れ渡る時代でもある。そして、実際に足を運ぶことも可能なのである。

 

これからの時代、地元の人だけで伝統を守っていくのではなく、外の者の力も借り、全体のものとして、時には形を変えて守っていくというのが必要になってくるかもしれない。

外の者だからこそ分かる感覚もあるだろうし、外の者が来ることによって気付くこともあるだろう。

ワタシ自身、綾渡という場所、人、伝統に感動を覚え、安易だが、''無くなって欲しくない'' と心から思った。

伝統を継承していくことが如何に大変なことか、自分の無力さを感じながらも、ここで体験したことは、確実にワタシの中に刻まれている。

 

 

 

盆踊りはワタシを色々なところへ運んでくれる。

 

知らない日本をもっと知りたい!

 

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【綾渡の夜念仏と盆踊り】

愛知県豊田市綾渡町  平勝寺境内

毎年8月10日、15日  午後7時頃〜

 

静寂の山里に響き渡る祈りの声【綾渡の夜念仏と盆踊り①】

まだまだ寒い日が続く2月。

しかし、ワタシは四六時中、

''今年の夏はどこの盆踊りに行こうかなあ''

と頭の中は盆踊りでいっぱいだ。

盆踊りに恋い焦がれている。

 

去年行った盆踊りのことをまだ全然書ききれていないので、思い出しながら少しずつ書き綴っていこうと思う。

 

 

 去年のお盆に『徹夜盆踊りの旅 2016』と題して、岐阜、愛知、長野を巡った。

 

その中で出会ったのが、愛知県豊田市綾渡町 (旧足助町)で行われている「綾渡の夜念仏と盆踊り」だ。これは、国指定の重要無形民俗文化財にもなっている。

 

紅葉の時期に人気のスポット、香嵐渓から約5キロほど山里の中を進んでいくと、綾渡(あやど)という集落にたどり着く。

 

元々この地域の夜念仏は、新仏のある家を回りながらその霊を鎮めるために念仏を唱え、踊っていたそうだ。かつては綾渡の周辺でもたくさん行われていたそうだが、今残っているのはここだけとなってしまった。

そして今は形を変え、夏の時期に2回、綾渡にある平勝寺というお寺で行われるようになった。ここは聖徳太子が開いたとされる古いお寺である。

 

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8月15日、お盆真っ盛り。

山に囲まれた小さな集落の中に平勝寺は静かに佇んでいた。境内にはすでに、お揃いの浴衣を着た保存会らしき方々や、ご近所の方々が集まり始めていた。

 

境内の真ん中には、2つの折子灯籠が立てられている。正面には南無阿弥陀と書かれている。

その他にも、何やら絵が描かれているので、近づいて見てみると、一方は極楽の絵が、もう一方は地獄の絵が描かれていた。

 

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これはどういう事を意味するのだろう。

極楽と地獄は常に対になっているということだろうか。だとしたらどちらに転がるかは紙一重なのではないか。

などと考えにふけりつつ、これからはじまる出来事に胸を躍らせた。

 

 

参道脇には多くのカメラマンたちが三脚を立ててその時を待ち構えていた。

日も暮れてきた午後7時頃、ついに夜念仏が始まった。平勝寺へと続く一本道にはロウソクが並べられ、先ほどの極楽と地獄の絵が描かれた折子灯籠を先頭に、笠をかぶった人々の隊列が境内に向かって進んでくる。

山里に、静かに念仏を唱える声と鉦の音が響き渡る。 

ワタシもその様子を固唾を飲んで見守る。

何だか、とんでもないところに紛れ込んでしまった。という感じがした。

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その後、隊列は参道脇の広場に輪になり、また念仏を唱え始めた。

気が付けば日も完全に落ちて、あたりは真っ暗闇になっていたが、月の光に照らされてさらに厳かな雰囲気に包まれていた。

灯籠のぼんやりとした灯りだけが宙に浮いている。

時折、カメラのフラッシュがパシャッと光り、その時にだけ人の影がくっきりと映し出されるのがまた不思議な光景だった。

 

 

隊列はゆっくりと進み、やがてお寺の中に入っていき、さらに念仏が唱えられる。低くなったり高くなったり、絶妙なハーモニーに吸い込まれそうになる。

 

 

のちに調べてみると、 参道で唱えていたのは『道音頭』石仏の前は『辻回向』、山門前は『門開き』、観音堂前は『観音様回向』氏神神明宮前は『神回向』、平勝寺本堂前では『仏回向』というらしい。

 

 

この地に来たのも、この風景を見たのも初めてなのに、なぜかとてもノスタルジックな気持ちになり、胸がキュッと締め付けらるような感覚になった。

 

 

約1時間に渡って念仏が唱えられ、ついに夜念仏が終わった。ワタシはフッと、緊張から解き放たれた。

 

ここからは、いよいよ盆踊りの時間だ。

 

 

つづく

軽快なお囃子で踊り狂う!【桐生八木節まつり in 浅草】

群馬県桐生市に面白いお祭りがある」

と、噂には聞いていた。

 

桐生八木節まつりである。

YouTubeなどで動画を見てもらえればその迫力がお分かり頂けると思う。まつりのフィナーレの動画は、踊っているというより、人々が波打っている。

 3日間で約50万人の人々が訪れるというこの桐生八木節まつりが、なんと浅草に来るというのだ!しかもこの寒い1月に!そして県外でこの祭りをやるのは初めてだそう。

 

 

これは行かねば!!

 

少し風邪気味だったが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

 

せっかくの浅草なので、着物で行くことにした。とにかく暖かくしていこう。中にヒートテックなどを着込み、冬用の羽織を着てさらにマフラーを巻いた。なにせ、14時〜20時まで外で踊るのだ。

 

 

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少し遅れて会場に着くと、櫓のまわりにはすでに踊っている人々。その周りにたくさんの観客たちが取り囲んでいた。

なんだか久しぶりに見たような気がする赤い提灯たちを見て無償に嬉しくなった。

お囃子は、特に目立っていたのが、リズミカルな鉦の音だ。踊るように鳴らしている。それと、ポカポカと可愛らしい音を奏でる小鼓が合わさって、なんとも軽快で心地のいいリズムを生み出していた。

冬にこんな素晴らしいお囃子が聞けるなんて!

ワタシの中の祭りボルテージがじわじわと上がっているのを感じた。

 

 

嗚呼、早くあの輪の中に入りたいっ!!

景気付けのビールを胃に流し込み、いざ出陣!

 

音頭取りが唄っている時は基本の手踊りを踊る。手を叩いたり、上げたり下げたり、これだけでも結構忙しいのだが、お囃子のパートになると一気に太鼓や鉦が打ち鳴らされ、踊りも激しく変化するのだ。原型はどこにいってしまったんだというくらい一心不乱に手や足を動かし、全身を振り乱して踊る。これが正解というものはなく、それぞれがオリジナルのスタイルで踊る。(ダンス八木節大会もあるそう)

やはりその激しい踊りからか、若者が多い。お揃いのTシャツをきたイキのいい集団がいたり、桐生出身らしき若者たちが慣れた手つき足つきで踊っている。

 

お囃子パートの時の踊り子の合いの手がまた面白い。民謡、会津磐梯山の囃言葉と同じなのだが、なぜこれが桐生八木節でも使われているのかはナゾである。(今度調べてみよう)

 

 ♪ 小原庄助さん なぜ身上(しんしょう)潰した

朝寝 朝酒 女(朝湯)が大好きで それ身上潰した

あーもっともだー もっともだー

いいや違う いや違う あソレ

いいやそうだ いやそうだ

やんちきどっこいしょー

祭りだ祭りだ 桐生の祭りだ ♪

 

 

今回の桐生八木節まつりin浅草では、14時〜20時までの間、30分踊っては30分休憩を繰り返す。これが思っていたよりもハードだった。

全身を振り乱す踊りは、体力の消耗が激しく、ひたすら同じ踊りを踊るというのも、途中から苦行に思えてきた。(いや、めちゃくちゃ楽しいのだけれど)

 

そして、寒いかと思い着物の下にたっぷり着込んできてしまったのがまたいけなかった。

 

暑いっ、、、!

冬に汗だくで踊ることになるとは。

 

 

そしてここからお囃子と踊り子のせめぎ合いが始まる。疲れたら別に、いつでも輪から出られるのだが、ただの意地なのか、もっと別の強い何かに引き寄せられているのか、ヘロヘロになりながらもその輪から出られず、いつ鳴り止むのか分からないお囃子に囃されながら、ひたすら踊り続けた。

 

踊りを見ている観客たちも多く、浅草に観光に来ている外国の方も楽しそうに、しかし不思議そうに見ている。

''なぜ日本人はこんなにひたすらに踊っているのだろう''

そんな声が聞こえたような気がした。

そしてワタシはそんな外国の方々を巻き込み踊る。

''踊れば分かるよ''

 

 

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いつの間にか空は暗くなり、どんな電飾よりも提灯のあたたかい光が目に飛び込んでくる。

きっと宇宙から見ても、祭りの提灯の灯りは一番輝いているんじゃないかなあ、なんてことを考えたりしていた。

夜に近づくにつれ人々の熱気も高まっていき、お囃子は踊り子を囃し立て、若者たちはさらに盛り上がり、踊り狂っていた。

 

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20時になり、ついにお囃子が鳴り止む。

ようやく終わったー!と思ったら、アンコールが巻き起こった。

これは本場でもお決まりのようで、またすぐにお囃子が鳴り出した。もはや踊っているのが歯がゆいのか、拳を突き上げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら体をぶつけ合う若者たち。お囃子もそれに応えるように激しく打ち鳴らす。

なんだか、櫓がロックフェスのステージのように見えてきた。

踊る人々と跳ねる人々。カオスな状態になり本日最高潮の盛り上がりを見せていた。

 

そしてホントにホントに最後の演奏が終わり、拍手喝采で幕を閉じた。

 

 

こんな疲労感は夏ぶりだった。

しかしその疲労感は、冬で祭りロスだったワタシを喜ばせた。

 

若者のエネルギー桐生八木節の伝統浅草という土地柄がうまく混ざり合って最高に面白いことが起きていた。

冬にこんなに暑い熱い祭りに出会うとは。

 

この時ワタシは今年の夏、本場の桐生八木節まつりに行くことを決意した。

 

 

【桐生八木節まつり in 浅草】

今年の4月と7月にも開催予定 (要確認)

 

【桐生八木節まつり】

群馬県桐生市中心部

毎年8月第1金曜日〜日曜日