盆踊り中心の生活

盆踊りや祭りの体験記。身体で心で感じたことを綴っていきます。あぁ、明日はどこで踊ろうか。

月灯りの下で遠い昔の誰かと踊る【綾渡の夜念仏と盆踊り②】

夜念仏を唱えた後は、境内の広場で盆踊りが行われる。

 

お揃いの浴衣を着た保存会の方々や、着物を着た年配の女性、何人かの若い方々が、広場の端っこに1列になっている。広場の真ん中には夜念仏にも使われた、極楽と地獄の絵が描いてある折子灯籠が静かに佇んでいる。

 

「まずは越後甚句。」

マイクを持ったおじさんが言うと、そのまま唄い始めた。

列は踊りながら前へ進んで行く。踊り手は地元の方々ばかりだったので、少し躊躇したが、若い女性の方に手招きされ、ワタシも列の一番後ろに加えていただき、見よう見まねで踊り始めた。

 

綾渡の盆踊りは、お囃子などは一切なく、音頭取りの唄声だけで踊る、とても素朴な盆踊りだ。年配の男性の、ゆったりと強弱をつけた味わい深い唄声が綾渡の山々に響き渡る。

 

 

列は踊りながら折子灯籠を中心に、徐々に輪になっていく。踊りもシンプルで、下駄で地面を擦るように足を運ばせていく。

 

 

綾渡の盆踊りで踊られるのは10曲。

『越後甚句』『御嶽扇子踊り』『高い山』『娘づくし』『東京踊り』『ヨサコイ節』『十六踊り』『御嶽手踊り』『笠づくし』『甚句踊り』

 

扇子を使う踊りと、手踊りがある。

 

 

 盆踊りで使われる扇子には、

 

「足助綾渡おどり  セー綾渡踊りは  板の間で踊れ  板の小拍子でノオサ  三味やいらぬ  トコドッコイ  ドッコイショ」

 

と書かれている。これは、一番最後に踊られる『甚句踊り』の歌詞だ。

 

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昔はお寺の板の間で踊っていたそうで、三味線など楽器がなくても、踊る人々の足の音や板の間の軋む音がその代りになっていたのだ。

現在は外で踊っているのでこの音を聞くことは出来ないが、下駄が砂を蹴る音も、素晴らしい音色を奏でていた。

 

 

 

次に扇子を使う踊りが始まり、一気に難易度が上がった。新野の盆踊りでも思ったのだが、扇子をうまく扱うのは本当にむずかしい。

 

初めて踊る踊りに四苦八苦していると、見かねた保存会の方が親切に教えてくださった。

優雅に踊るおじ様、おば様方。やはり長年踊っていて身体に染み付いているのか、背中こそ曲がっているものの、味わいのある、しなやかなその動きに、''なかなかこの感じは出せないな''  と、到底超えられない、人間としての深み、のようなものに圧倒されてしまった。

  

 

綾渡の盆踊りは、夜念仏の余韻を残した厳かな空気の中に、明るい調子の曲と、どことなくコミカルな踊りが混ざり合って、独特な雰囲気を作り上げていた。決して賑やかで派手な盆踊りではないが、とてもおもしろいと思った。

じわじわと楽しさが込み上げてくる、といった感じだ。

 

 

音頭取りが唄う曲の歌詞をよーく聞いていると、

「歌が出なけりゃ馬のケツなめよ」とか、

「お釈迦様でもバクチに負けて」など、

プッと笑ってしまいそうな歌詞が聞こえてくる。

 

それに応えるように、踊り手たちは、

「チョコチョイ」「トコドッコイドッコイショ」「トコサードッコイサ」

などの合いの手を入れ、盛り上げる。


音頭取りが歌詞を忘れてしまった時は、みんな笑顔でからかいながら、終始和やかな雰囲気が漂っていた。

 

 色恋ものの曲が多いようで、保存会の方は、「ここの唄は下ネタが多いんだよ〜ははは〜っ 笑」と嬉しそうに話していた。

特に『娘づくし』の歌詞は下ネタだらけだそうで、、

 

 

♪ 嫁にとりたや茶わん屋の娘  傷があるかと問うたなら  まんだ割れてはおりません

 

♪無償に入れたがる桶屋の娘  堅いを自慢にしめたがる  底をたたいてみな入れる

 

 

おおお!素晴らしい!!

洒落を効かせた表現が実に素晴らしい!

昔の人は言葉遊びの天才だな、と感動して、思わず ''エロは文化だ!'' と叫びそうになった。(抑えました)

 

 

曲が変わるたびに、次から次へと踊りも変化していき、ワタシはついていくので必死だったが、そんな中でも、ここに来れた喜びをじわじわと感じていた。

 

 

月灯りの下、音頭取りの唄声だけで、輪になり踊る。

 

いくらテクノロジーが進化しようとも、この瞬間だけは今も昔も変わらない風景なのだろう。

 

ワタシが盆踊りや祭りに取り憑かれてしまった理由もここにある。もしかしたら、遠い昔の誰かと今のワタシを重ね合わせて、

 

「ほら、人間って何も変わってないじゃん。」

 

と、言いたいのかもしれない。綾渡の盆踊りので素朴さが、それをまた思い出させてくれた。

 

 

 

最後の曲は『甚句踊り』だ。

これは稲の収穫の様子を表している踊りだそうで、投げて!引いて!巻いて!という風に教えて頂いた。手をクルクルと回す踊りはとても楽しくて、最後の踊りを、チカラ一杯踊った。

 

 

午後9時すぎ、音頭取りが唄うのを止めるのと同時に、綾渡の山里に静寂が戻った。

おつかれ様、と互いを労わり、散らばっていく人々。

 盆踊りの輪は、幻だったかのように、あっという間に消えてなくなった。

 

 

盆踊りがなければ、盆踊りにハマらなければ、絶対に一生来ることはなかったであろうこの場所に、いま立っていて、しかもそこで踊っていたということの不思議さと、幸福感がいっきに襲ってくる。

この土地の空気を感じ、匂いを感じ、音を感じたことは、ワタシの人生を確実に豊かにしていると思った。

 

 

そして、何よりも地元の方々がとても親切で温かくて、胸がいっぱいになった。
東京から踊りに来たと言うと、やはりびっくりした様子だった。よく来たね、と終了後の打ち上げにまで招いてくれ、もてなして頂いた。

保存会のおじさんは、なにで知ったの?と目を丸くし驚いており、インターネットに綾渡のことが載っていることすら知らない様子だった。

 

 

年々過疎化、高齢化が進み、伝統の継承が難しくなってきている。

実際、綾渡の夜念仏は昔、35歳までの若連中で行われていたが、青年の数が減少し継続が難しくなったため、昭和35年に保存会が結成された。

 

地元にこんなに素晴らしい伝統があるなんて、羨ましい!と純粋に思う反面、見えない膜のようなものに覆われている少しの息苦しさを感じた。

綾渡に生まれ育った人は、否が応でもこの地の「伝統」というものが付きまとってくる。継承していかなければ、という義務に近い空気も少なからずあるかもしれない。

しかし、地元を離れる若者も増え、それぞれの生活、仕事があり、お盆になったらここに帰ってくる者もいれば、そうでない者もいるだろう。

人々が自由に生き方を選択できる時代に伝統を継承していくことは、難しくなっているのかもしれない。

 

保存会の方々は、ぜひ綾渡の盆踊りを広めて欲しい、とおっしゃっていた。保存会も年配の方が多く、やはりみな危機感を抱えている。

 

一番こわいのは、忘れられてしまうことだ。

 

 

しかし、逆に考えれば、いままで知ることのなかった「伝統」は少しのきっかけで広く知れ渡る時代でもある。そして、実際に足を運ぶことも可能なのである。

 

これからの時代、地元の人だけで伝統を守っていくのではなく、外の者の力も借り、全体のものとして、時には形を変えて守っていくというのが必要になってくるかもしれない。

外の者だからこそ分かる感覚もあるだろうし、外の者が来ることによって気付くこともあるだろう。

ワタシ自身、綾渡という場所、人、伝統に感動を覚え、安易だが、''無くなって欲しくない'' と心から思った。

伝統を継承していくことが如何に大変なことか、自分の無力さを感じながらも、ここで体験したことは、確実にワタシの中に刻まれている。

 

 

 

盆踊りはワタシを色々なところへ運んでくれる。

 

知らない日本をもっと知りたい!

 

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【綾渡の夜念仏と盆踊り】

愛知県豊田市綾渡町  平勝寺境内

毎年8月10日、15日  午後7時頃〜